大和町 (台北市)
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大和町 | |
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紀元二千六百年記念行事が行われる台北公会堂 | |
北緯25度2分39.1秒 東経121度30分36.4秒 / 北緯25.044194度 東経121.510111度 | |
国 | 大日本帝国 |
州・庁 | 台北州 |
市 | 台北市 |
人口 (1935年10月1日現在)[1] | |
• 合計 | 1,502人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
大和町(やまとちょう[2])は、日本統治時代の台湾に存在した台北州台北市の町丁。大和町一丁目から大和町四丁目までで構成された。人口は1,502人、世帯数は290世帯(1935年10月1日現在)[1]。
地理
[編集]おおむね現在の台北市中正区の中央に位置する。台北城が中心にあり、金融機関や政治機関が並んでいる。現在の延平南路、中華路、開封街一段、漢口街一段、武昌街一段が大和町に含まれる。延平南路は日本統治時代に「大和町通り」という名であった。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1922年(大正11年)4月1日 - 町名改正が実施され、大和町一丁目・大和町二丁目・大和町三丁目・大和町四丁目が誕生する。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 従来の西部標準時(グリニッジ標準時+8)が廃止され、日本標準時(グリニッジ標準時+9)に変更される[3]。
- 1945年(昭和20年)10月25日 - 日本が中華民国に降伏(台湾光復)したことにより、日本の町丁として事実上廃止される。同時に台湾省行政長官公署下の臺北市が成立し、同市の町名となる。
- 1946年(民国35年)
町名の変遷
[編集]町名の変遷は以下の通りとなる[7]。
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) | |
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大和町 | 1922年4月1日 | 台北城内 | 北門街 |
撫台街 | |||
西門街 | |||
石坊街 |
施設
[編集]公共
[編集]企業
[編集]- 台湾商工銀行(大和町四丁目1)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『台湾昭和十年国勢調査結果概報』台湾総督官房臨時国勢調査部、1935年12月、6頁。doi:10.11501/1281972。
- ^ 新道満『ローマ字発音台湾市街庄名の読み方』東都書籍、1938年、1頁。doi:10.11501/1239821。
- ^ “明治二十八年勅令第百六十七号(標準時ニ関スル件)”. e-Gov法令検索. 2023年8月31日閲覧。
- ^ 「除去日本色彩省垣改正街路名稱」『民報』1946年1月1日。2023年9月1日閲覧。
- ^ 臺北市文獻委員會 編『臺北市 志卷三 政制志 行政篇』臺北市政府、1962年、31-35頁 。2023年9月1日閲覧。
- ^ 臺北市文獻委員會 編『臺北市志 卷三 政制志 行政篇』臺北市政府、1987年6月15日、148-150頁 。2023年9月1日閲覧。
- ^ a b 臺北市文獻委員會 編『臺北市志 卷一 沿革志 封域篇』臺北市政府、1988年、122頁 。2023年9月1日閲覧。